慢性骨髄性白血病1

慢性骨髄性白血病 CML

みなさんこんばんは。

育児経過は考えながら書かないといけないため疲れてしまう。

今日は自分の経験を書けばいいだけなので、病気について書いてみようと思う。

私は病気があり子どもに恵まれにくい体質であるが、幸運にも今はかわいい息子に恵まれた。

このことを主治医に伝えるとやはり日本では症例があまりないみたいであった。研究にはできるだけ協力していきたいと考えている。

また、私もこうして発信を行い、同じ病気で悩む方のひとつのアイデアを提供できたらと思う。

私は小学校6年生の冬休みの時期、慢性骨髄性白血病に罹患していると判明した。

きっかけは風邪をこじらせて、かかりつけのクリニックにかかり嫌々血液検査を受けた。

そこで異常な白血球数がわかり、肺炎も高熱となってしまったため総合病院に入院した。

その後は、記憶が高熱が続き、吐き戻したりと大変だったため、そのころの記憶はあいまいになっている。その後、救急車で大学病院に移送され慢性骨髄性白血病の治療がスタートした。

慢性というだけあって大きな自覚症状なくゆっくり進行し、急性白血病になってしまう病気である。

慢性の時に治療をスタートし、移行期急性期になるまえに、悪化を防ぐことがキーになる。

私の人生はとてもついており、慢性状態で病気が見つかっている。

しかも、日本でも認可がそのころ降りていた「グリベック」という薬で治療ができた。

この薬が出る前の時代に同じ病気になった人は骨髄移植がまず選択肢だったとのことだ。

薬は当時は1錠3100円~4000円ぐらいだったと記憶がある。毎日4錠飲んでいた。

小児慢性が認定されており薬代はかからなかった。20歳からは薬代が実費になり高額医療制度があるとはいえなかなかの負担になって困りごとの一つではある。日本にはお世話になりっぱなしであることは間違いないが。

思い返すと入院前である、小学校5年生ころから走れなくなっており、短距離走で女子に負けてしまった記憶がある。

水泳やサッカーをしていたが、活動が終わると家で寝転がり、とても動く気になれなかった。こたつに入ると祖母に「あれとって、これとって」とおねがいしていた。

今思うと倦怠感はとてもあったのであろう。今はそれなりに走れる。布団に入っても自分で歩いて物を取りに行く気力もある。

食べ物についてはとても塩辛いものを欲していた。塩さんまにさらにアジシオを振りかけまくって食べていた。

当時母に心配されていた。もしかするとナトリウム値が関係していたのかもしれない。

今は体を考え減塩に気をつけている。むしろあんな塩辛いもの食べることができない。

それと、とにかく鼻血がでた。鼻をかむとなかなか止まらないしかなりの出血量であった。かなり異常だったと思う。今爪を立てて思いっきり鼻をほじっても出ない量だった。

次回は大学病院入院編を書いてみようと思う。

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