仕事 振り返り

備忘録

みなさんこんばんは。

そろそろ今年度も終わりですね。
上司と今年度の業務の振り返りを先日行った。
今年度はライフステージの変化がとても激しく、ひとつ成長できた気がする。

今日は仕事について書いてみようと思う。

仕事1~3年目

国家資格を取得したが、現場ではその知識だけでは自立して働くことができない。それは、専門知識だけでなく、コミュニケーション技能や段取り、思考力などその場に合わせた対応も必要になってくるからである。誰かのサポートを借りて仕事をしていくというのが本来の3年目までの姿であるが、「わからないということが恥ずかしい」と思っていた私は「やる気のある無能」となっていた。「成果を上げて誰かに認められたい」という歪んだ承認欲求も併せ持っていたが、これが無能感を増す要素になっていた。今思うと本当に役に立たないやつであった。

とても仕事ができなかったため、ありがたいご指導を受ける時期もあった。「高次脳機能障害がある」「頭の細胞が脱落している」などいろいろ言われ、よくお腹を壊していた。今思うとパワハラだと思う。今は指導する側になることがあるためわかることだが、上司も「部下を育てたい」という気持ちよりも「誰かに認められたい。ポジションを良いキープしたい」という気持ちが隠れていたと思う。本当に私の成長に役に立つことであれば感情的になる必要はないし、私のペースに合わせて指導することが一番の近道だと思う。

その人がいなければ今の私もいないので感謝している。

仕事4~6年目

ありがたい指導を乗り切り少し仕事ができるようになった。成果も出し、周りからも必要とされるときもあり天狗になっていた。実際は無能でスタッフファーストな働き方をしていたからスタッフに認められて当然である。

仕事7~8年目

いろいろな考え方の人たちに出会い、自分よし、周りのスタッフより、患者さんよし、の三方よしで考えて動くことができるようになってきた。特定の人だけでなくいろいろな人とコミュニケーションを取り仕事をしていった。なかでも、自分のロールモデルになる人に出会えた。しかし、理想像に出会ってしまうと自分ができていないのを環境のせいにしてしまったり、プレゼンしたときに周りから批判されることがあるとストレスをためていた。どこにでもいるが私の職場は「昔からこうやってたから」というセリフがとても多く、業務の大半は形骸化している。集団で私の悪口を言っていたり、会議では根回しをされて、参加者ほぼ全員から私が話す間もないほど攻撃されたときもあった。

そんな中で妻(ねこ)が第一子(かえる)を産んでくれた。かえるの世話をしていると、いろいろ考えさせられる。職場で嫌いな人間の相手をしている時間は私の人生にはないと思うようになった。早く帰って遊んだり、お風呂に入れないといけない。職場で愚痴に付き合っている暇はない。しかし、仕事をあきらめるのも嫌なため、自分のできる範囲でできることをコツコツ続けた。

自分の考えを持ち仕事をしていると、同じ考えの人とつながった。環境や仕事の内容は変わらないが、仕事の意味が変化した。仕事は人生の大半の時間を費やす。仕事はお金を稼ぐ手段であるが、コツコツ取り組むことが自分の人生を豊かにしていく感覚が出てきた。

まとめ 

私の職場では、残業をすることは、会社への忠誠心ととらえられ、美徳と考えられる。有休も使い切る人はほとんどいない。

ネントレでフランスの本を読んでいると仕事に対する考え方も日本と全く違う。根底に「人生のすべてが仕事なのではない」という考え方があり、休暇も社会全体でしっかり取るみたいだ。バケーション中のトラブルは「警察にでも連絡してね」と部下に伝え休暇を取るらしい。フランス人は「残業するのは仕事ができないから」「能力が低いから」と考え、残業する人は、決められた時間の中できっちり成果を出せない人と考えられてしまうようだ。

とはいえ、日本はご飯はおいしい、治安はいい四季があるいい国だ。日本で仕事していくうえで文化を変えることはできないため、自分の考え方や行動を変える必要がある。
近頃は、歳をとったみたいで、人の役に立つことをすると自分の人生が豊かになると思えるようになった。どんな人間からも学びを得ることができる。人生の大半は仕事をしている時間だ。どうせ仕事をするのであれば、豊かな時間にしたい。プライベートの時間を大切にしながらも、仕事の研鑽を積んでいきたい。

将来かえるにどんな仕事をしているのか聞かれたときに、自分の仕事の価値や魅力を伝えれるようになりたい。

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